先日、某所で「ダイアローグ」なるものに参加してみました。

 


ダイアローグとは?

ダイアローグとは、日本語で「対話」と訳されるもので、多人数で特定の題材について話し合うものです。話し合いの携帯には他にもディベート(討論)、ディスカッション(議論)等が存在しますが、それらの特徴をまとめると、

・ディベート…ある題材について賛成、反対の立場になり、意見を交換する

・ディスカッション…最終的に結論を出すことが目的

・ダイアローグ…結論を出すものではなく、意見を交換しながら考えを深めていくもの

といった感じです。

 


ダイアローグのいいところ

・揚げ足の取り合いや、口先だけの論戦は発生しない

霞が関のあたりでは、国民のお金で国の予算を話し合う場なのに関係ないことばかり論じられているらしいですね。一方ダイアローグは相手を論破したり、自分の主張を押し通すことが目的では無いため、そうした事態は起こり得ません。結論を求めない議論に生産性は無いのかもしれませんが、そこには脳がフル回転する楽しさと、知の喜びがあります。また、他社の主張を聞くときも、言葉の綾に気を取られずに、本当に言わんとしていることの理解に注力できます。

 

・外部のことを真剣に考える結果、自分を振り返ることにつながる

ダイアローグは他社との対話ですが、同時にその題材との対話でもあります。普段当然だと考えていることを、自分は何故当然だと思うのか。その考えは正しいのか。そしてそれは最終的に自分との対話になります。最近は空き時間はネットサーフィンするか御飯食べるかという生活だったので、冷静に自分を見つめ直す機会は案外少なく、やっぱり僕は愚かだなぁと自己嫌悪に陥るのでした。気づけただけまだましだとも言えます。普段から心を整えなきゃなーと痛感しました。

 

・発言することの大切さがみいしみてわかるずら

僕は今まで話し合いの場において、何か思うことがあっても「それは間違っているのでは」「わざわざ発言するほどのものだろうか」と発言を躊躇してしまうことがありました。胸中で葛藤するうちに議題は移り、心にはわだかまりが残るのでした。

他方ダイアローグの舞台では未熟な発言を槍玉に挙げられるようなことはありません。したがって僕も発言のハードルが心なしか下がった気がしました。また、たとえまとまりのない意見を口にしてしまっても、他の参加者がフォローしてくれて、自分の言わんとしたことに気づいたり、違う見地があることに驚いたりできます。話し合いは発言してナンボだなあと再確認しました。

 


ソフィストになるな!

ここまでの話を踏まえて、ソフィストについて考えてみたいと思います。

ソフィストの訳語は「詭弁家」。古代ギリシャにおいて、相手を説得させる会話術を教えた人です。歴史上で彼らの評価は高くありませんが、その理由は、相手を論破してやり込めてしまえばそれが正しいことだと考えていたためです。

無論会話は上手であるに越したことは無いでしょう。いくらまっとうそうな考えを持っていても、それを他社に理解してもらえなければ意味はありません。言葉の選び方、巧みな交渉力といった能力はその点においては重要です。

しかし、それはあくまで自分の意見を伝える「手段」であることを忘れてはなりません。相手の主張に汲むべきものがあるか、自分の考えに落ち度はないかを顧みずに持論を押し通そうとするのならば、議論に勝利することが「目的」にすり替わってしまったということです。それは心が貧しくて、悲しいことじゃないかと思います。

 


まとめ

抽象的なことばかり話してしまいすみません。ダイアローグの最中にも「君は文章が固い」と指摘されてしまい凹んでいるところです。

日常生活でダイアローグをする機会は少ないかと思いますが、機会があればぜひ、家族ででも友人同士ででもやってみてほしいですね。また、ダイアローグ以外の場でも、他社の声を真摯に聞き、論戦の勝利よりも思考の進展を優先させる考えは活かせるのではないでしょうか。不毛な水掛け論が、この世から少しでも減ってくれることを願っています。

 

それでは。
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ソフィストになるな! ~ダイアローグのススメ~